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東京高等裁判所 平成10年(ネ)2127号 判決 1999年11月17日

控訴人(原審被告・反訴原告)亡【A】訴訟承継人

【B】

控訴人(原審被告・反訴原告)亡【A】訴訟承継人

【C】

右両名訴訟代理人弁護士

木下良平

長谷川健

佐瀬正俊

米川勇

小川義龍

被控訴人(原審原告・反訴被告)

【D】

右訴訟代理人弁護士

山嵜進

野口啓朗

村田陽子

右訴訟復代理人弁護士

丸山知子

被控訴人補助参加人

株式会社偕成社

右代表者代表取締役

【E】

右訴訟代理人弁護士

三宅陽

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中、控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。

3  原判決別紙著作目録記載の各絵本の著作権の全部が亡【A】の遺産に属することを確認する。

4  被控訴人は、原判決別紙物件目録二の一ないし一三記載の絵本及びかるたを出版、製造又は頒布してはならない。

5(第3項についての予備的請求の趣旨)

原判決別紙著作目録記載の各絵本の著作権について、その一〇分の九の共有持分権が亡【A】の遺産に属することを確認する。

6  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  当事者双方の主張は、次の二及び三のとおり当審における主張を付加するほかは、原判決事実欄の「第二 当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。

二  控訴人らの主張

1  原判決は、次のとおり、証拠の採否に重大な誤りがあり、その結果、本件絵本(一)の著作者の認定を誤ったものである。

(一) 原判決は、亡【A】と被控訴人の著作である「二人でノンタン」(乙第一号証)につき、本件絵本(一)の創作過程を記述したものであると認定しながら、本件絵本(一)の著作者の認定をするに当たって、「二人でノンタン」の記述内容を何らの理由も示さず等閑視した誤りがある。

「二人でノンタン」は、株式会社文芸春秋出版部の【F】からノンタン制作の裏話や二人のエピソードを書いてみてはどうかと勧められたことが、その執筆の動機であり、その執筆時期である昭和五四年初夏ころから昭和五七年四月までの間は、本件絵本(一)<8><9>が相次いで出版され、ノンタンシリーズの売行きも飛躍的に増大し、亡【A】と被控訴人との夫婦仲も円満であった時期であって、「二人でノンタン」中に虚偽の内容を著述する必要は全くなかった。また、そこに記述されたエピソードについては、他の証拠からも事実であることが確認できるものであり、さらに、本件絵本(一)の創作過程の描写は、細部にわたり、実際にあったことでなければ書き得ない迫真性を有していることからも、「二人でノンタン」に既述された内容が事実に即したものであることが理解される。

そして、その内容に照らせば、本件絵本(一)が亡【A】と被控訴人との共同著作に係るものであることが明白であり、かつ、両者の役割は、亡【A】が主であり、被控訴人が従であることが認められるものである。

(二) 原判決は、亡【A】と被控訴人とが出演したNHKのテレビ番組を録画したビデオテープ(検乙第二号証)についても、何らの理由も示さず、これを等閑視した誤りがある。同ビデオテープに録画されたNHKのテレビ番組には、亡【A】が筆をとって描写している場面が随所にあり、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であることを示している。

2  原判決は、本件絵本(一)の著作者を認定するに当たり、またはその基礎となる本件紛争に至る経緯を認定するに当たって、次のとおり、重要な事実についての認定及び判断を誤り、その結果、本件絵本(一)の著作者の認定を誤ったものである。

(一) 原判決は、被控訴人が昭和五九年一一月二三日に亡【A】の前から行方をくらまし、昭和六〇年五月一四日に被控訴人によって協議離婚の届出がされた当時の事実として、ノンタンシリーズの続編を望んでいた被控訴人補助参加人(以下、単に「補助参加人」という。)が、被控訴人でも亡【A】でもノンタンシリーズを描き継ぐことができる者が続編を制作すればよいとの考えから、亡【A】に作品の試作を依頼したが、亡【A】が補助参加人に持ち込んだノンタンの試作は補助参加人の採用するところとならず、その後持ち込まれたいくつかの絵本原稿についても同様であった旨を認定した(原判決六四頁一行目から八行目)。

しかしながら、右認定は補助参加人の編集部員であった原審証人【G】の証言のみに依拠してなされたものであるが、同人は、被控訴人の家出後、ことある毎に被控訴人から、ノンタンシリーズの出版停止をする旨脅迫され、また、補助参加人を退職した後は、ノンタンのアニメーション、被控訴人作成のノンタンの絵本、その他ノンタンキャラクターに関するビジネスに深く関わり、被控訴人と特別密接な利害関係を有するに至っている。そして、同人の証言は、事実を歪曲あるいはすり替えし、随所に矛盾する点や曖昧な点、牽強付会があって、到底信を措くに足りず、極めて信憑性に乏しいものである。亡【A】及び本訴訟の控訴人ら訴訟代理人全員は、平成二年六月二六日に【G】と面談したところ、その際、同人は、本件絵本(一)の原画と被控訴人の描いた原画を机上に並べ、両者は全く異なり本件絵本(一)の原画は被控訴人が描いていない旨を説明した。同人は、これらの内容について、原審における尋問の際、反対の趣旨を述べたり、覚えていない旨の証言を繰り返して、その態度を翻したものであり、同証言の信用性が相当に低下していることは明白である。

しかして、原審証人【G】の証言中の、亡【A】に作品の試作を依頼し、亡【A】が補助参加人にノンタンの試作を持ち込んだ旨の供述は虚偽であり、そのような事実は全く存在しない。これは、被控訴人の家出の数年後に、亡【A】が補助参加人に新しい観点から発案した「しつけ絵本シリーズ」数点を持ち込んだ事実を、あたかも【G】が亡【A】にノンタンシリーズの続編の試作を依頼したかのようにすり替え、亡【A】にはノンタンシリーズの続編を描き継ぐ適性がないことを捏造したものである。被控訴人の家出後、被控訴人から脅迫されていた【G】は、被控訴人を宥めてノンタンシリーズの出版停止を免れるべく奔走しており、そのような時期に、続編の刊行を企画し、その作者を亡【A】か被控訴人かのいずれかにしようと試作をさせるなどあり得べからざる事柄である。被控訴人が亡【A】により提出されたとする甲第八三号証の1、2の真偽は不明である。

そして、原判決は、前記の認定を根拠として、補助参加人としては、ノンタンシリーズの続編を描き継ぐ者として被控訴人を選択せざるを得なかったと認定し、亡【A】が本件絵本(一)の創作者であれば、亡【A】が補助参加人の求めに応じて提出した作品が、本件絵本(一)と共通性があり、一定の水準に達して、補助参加人に採用されるものがあるはずであると判断した(原判決七九頁四行目から八二頁一行目まで)が、その前提である、補助参加人が亡【A】に作品の試作を依頼し、亡【A】が補助参加人にノンタンの試作を持ち込んだ旨の認定が誤りである以上、右認定が誤りであることも明らかである。

仮に、被控訴人がノンタンシリーズの続編を描き継ぐ者としての適性を有しているとして選択されたのであれば、従前の作品と比べた場合の絵や作品としての完成度の劣化に対する言い訳でしかない「赤ちゃんシリーズ」と銘打った別物を作らなくともよかったはずであり、このようなシリーズを作ったこと自体、被控訴人が作家としての力量に不安を持っていたことへの対応にすぎない。この点につき、被控訴人は、被控訴人が本件絵本(二)<1>ないし<3>を刊行したことを挙げるが、本件絵本(一)と本件絵本(二)<1>ないし<3>とを比較すれば、後者は、前者において亡【A】が描いていたふるえる線が粗雑であること等により、キャラクターの愛くるしさ等が表現されていないし、ストーリーも粗雑であって、両者は似て非なるものというべきである。

また、亡【A】が、本件絵本(一)の続編を著作しなかったのは、その義理堅く温厚な性格からして、補助参加人に対し恩義を感じていたことから、自らはノンタン及びこれと同種の作品の制作をことさら避けていたものであり、また、被控訴人との婚姻生活の思い出の結晶ともいうべきノンタンシリーズを一人で制作することを心情的に潔しとしない点があったことは推測に難くない。

なお、原判決は、亡【A】が補助参加人に持ち込んだ「しつけ絵本シリーズ」数点(但し、持ち込んだ時期は、被控訴人の家出の数年後である。)について、内容が子供の世界ではなく、しつけ教育的な筋立てで親の喜びそうな視点から描かれており、ストーリーの展開や子供に対する見方が本件絵本(一)と対極的な違いがあり、補助参加人が絵本として出版するに足りる水準に達していないと判断された旨認定したが、右「しつけ絵本シリーズ」は、幼児のしつけ教育の一助とする目的で亡【A】により発想されたもので、その元来の性格は幼児教育的なものであるから、ノンタンシリーズとは性格も目的も異なり、本件絵本(一)と対極的な違いがあることは当然であって、原判決が、このことを根拠として、補助参加人が絵本として出版するに足りる水準に達していないと認定したこと自体、筋が通らないこじつけである。

(二) 原判決は、補助参加人が、被控訴人と亡【A】のいずれにノンタンの続編を制作して貰うか決めあぐねていた時期、双方に対し、他方がノンタンの続編を制作しても異議を述べない旨の文書の作成を依頼し、被控訴人はその作成を拒否したが、亡【A】は、昭和六一年五月、被控訴人がノンタンの続編を描くことに同意するとともに、亡【A】がノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には事前に補助参加人に知らせ協議する旨の昭和六一年五月三一日付覚え書(甲第七七号証)を補助参加人に差し入れた旨を認定した(原判決六六頁一行目から九行目まで)うえで、もし、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であったならば、右覚え書を作成し、被控訴人によるノンタン制作に同意していることは、絵本作家としての自己の能力やこれまでに築いた地位を否定することにほかならず、自らの著作活動に枠を設ける右覚え書を作成することは理解し難い行為であると判断した(同八四頁七行目から八五頁三行目まで)。

しかしながら、補助参加人代表者の亡【A】宛て昭和六一年六月一七日付書簡(乙第五六号証の一、二)は、右覚え書が本件絵本(一)の出版社である補助参加人とともにその著作者である亡【A】の共通の利益を守るものであることを強調して、右覚え書作成につき亡【A】の理解を求めており、さらに、ノンタンが亡【A】の画風で描かれており、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であることを率直に認めた記載がある。このことによれば、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であったならば、右覚え書作成が理解し難い行為であるとする原判決の判断が誤りであることが明白であり(なお、右覚え書には、補助参加人も押印している。)、さらに、昭和六一年六月一七日の時点で右覚え書が作成されてなかったことが認められるので、原判決の、右覚え書が昭和六一年五月に作成され、亡【A】が被控訴人によるノンタン制作に同意したのも同月であるとの認定が誤りであることも明らかである。

(三) 原判決は、講談社発行の「たのしい幼稚園」及び「おともだち」、小学館発行の「めばえ」の挿し絵、カット、付録のイラスト、トーア出版企画株式会社を通じた衣料品等のキャラクターデザイン等の先行作品及び並行作品が被控訴人の作品であると認定し(原判決五〇頁一〇行目から五二頁二行目まで、五九頁四行目から六〇頁一一行目まで)、「わたしのあかちゃんえんじぇる」を除くこれらが亡【A】が創作したものであるとする亡【A】の主張を排斥している(同六九頁四行目から七六頁八行目まで)。

しかしながら、絵そのものを見れば、それらが被控訴人の制作であるかどうかは明白である。例えば、前記「おともだち」昭和四九年四月号に掲載された「へっこきよめさん」(甲第一九号証)の挿し絵が、その構図、人物の動き、馬その他描かれている絵の一つ一つを見ても、書き慣れたプロの作品であり、かつ、亡【A】の作品である「はまぐり姫」(乙第二四、第五九号証)、「瓜子姫」(乙第二五、第六〇号証)と同一の作風の流れにあることが明らかである。

また、原判決は、先行作品及び並行作品に「【H】」のペンネームが使用された点につき、少女漫画家が複数の出版社で掛け持ちで仕事をすることがタブーとされており、既に「【I】」のペンネームで小学館の「めばえ」に作品を発表した被控訴人が、講談社用のペンネームとして「【H】」を用いたとの認定をしている(原判決七〇頁五行目から一〇行目まで)が、右のタブーを配慮したのであれば、「【J】」の名で十分こと足りるものであり、亡【A】のペンネームの一部である「【H】」を用いる必要はない。右の「【H】」のペンネームが使用されていることは、それが亡【A】の作品であることを示している。

さらに、原判決は、「【K】」の表示につき、絵は自分が描いたものの、被控訴人の権利を持たせる意味で付したとの亡【A】の供述が、被控訴人のペンネームや「<C>【I】」の表示が既に付されている故に趣旨不明であるとする(原判決七一頁四行目から一〇行目まで)が、カット絵などに自らの著作であることを示すため、著作者がいわば「花押」や「サイン」代わりとなる表示を用いることが多々あることを看過したものである。

そして、原判決は、右の認定を前提として、先行作品及び並行作品と本件絵本(一)との表現、登場する動物等の共通点を挙げるとともに、本件絵本(一)刊行前の亡【A】の作品中に本件絵本(一)と共通点を有するものと認められる作品を見い出すことができないとして、被控訴人が本件絵本(一)の著作者であることの根拠としたが(原判決八八頁六行目から九四頁八行目まで)、先行作品及び並行作品が亡【A】の制作したものであるから、それらと本件絵本(一)との共通点の存在は、本件絵本(一)が亡【A】の著作であることを意味するものである。

(四) 原判決は、本件絵本(一)の著作者の認定をするに当たって、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分は、扱うテーマやストーリーを構想し、これを具体的に表現する絵柄やその配置、配色の決定及び文字記述部分にあり、これらを創作した者が著作者たり得るものであって、単に決められた色を塗ったり、輪郭線の仕上げをするに止まる場合は、単なる補助作業であって著作物の創作行為とは評価できないとし(原判決七八頁五行目から一〇行目まで)、これを前提として、本件絵本(一)の著作者が被控訴人である旨認定しているが、この前提自体が誤りである。

すなわち、テーマ、ストーリー、絵柄、配置、配色及び文字記述部分は、絵本創作の主要な要素の一部ではあるが、その全部でないことはもとより、主要な要素でさえない。絵本の創作における最重要な要素は絵そのものの描出行為であり、これを除いては絵本の創作はあり得ない。絵本においては、どのような絵が描き出されたかということが創作の成果なのであって、その他はこれに比べれば付随的なものにすぎない。本件絵本(一)についていえば、主人公のキャラクターであるノンタンが、これを見る幼児の目にいかに可愛らしいかを直接に訴える絵そのものが創作である。

したがって、原判決の前記認定判断は全くの誤りであり、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分は、キャラクターを描くことにあるものである。

そして、毛筆を用いてノンタンを描くことは、亡【A】にのみなし得たことである。

(五) 原判決は、本件絵本(一)<1>及び<10>の原画(甲第四八号証の1、2)、本件絵本(一)<1>ないし<3>が発行される前に補助参加人に提出された絵コンテ(甲第九七、第一一五、第一一六号証)にそれぞれ被控訴人の筆跡と認められる記載があり、かつ、絵コンテの一部(甲第九七号証)が被控訴人の私物をまとめた段ボール中に納まっていた旨を認定する一方で、亡【A】が創作した絵コンテ(乙第三〇号証)につき、絵についても文字部分についても鉛筆の下書きが一旦消されたうえで作成された跡が窺えるから、編集者との打合わせや原画作成のため使用された当時とは異なるものとしている(原判決九四頁九行目から九六頁五行目まで)。

しかしながら、右の原画には、亡【A】の文字もある。また、原審における被控訴人本人尋問において、被控訴人は、「絵コンテ」とは、甲第九二号証の二番目の絵を指し、人が見ても解らないような描き方のものと供述しており、原判決が絵コンテと認定したようなものを被控訴人自身は絵コンテとはしていない。被控訴人の家出後に荷物をまとめたのは亡【A】であるところ、甲第九七号証には、その裏に被控訴人の日記的な記載があったために、被控訴人の私物用段ボールに入れた可能性があり、その絵コンテが誰によって描かれたかを明らかにする証拠はない。

さらに、原審における亡【A】本人尋問において、亡【A】が供述するように、絵コンテは、ストーリーが決まった後、画用紙に鉛筆で絵を描き、良い線のみフェルトペンで描くという作業をしたものであり、残された鉛筆書きの線や消された鉛筆書きの線があることは当然であって、原判決の乙第三〇号証についての判断は、本件絵本(一)の制作過程を理解していない。

(六) 原判決は、本件絵本(一)の出版のための【G】との打合わせの際に、亡【A】が同席しても、作品に対する意見等は専ら被控訴人が述べていた旨を認定する(原判決九九頁一行目から三行目まで)が、この認定は、前記のとおり信用し難い原審証人【G】の証言に基づくものであり、事実に反する。亡【A】と被控訴人との往復書簡(甲第九四、第九五号証)からは、被控訴人の海外旅行中、亡【A】が補助参加人との打合わせを繰り返し、絵を修正する等の行為をしていることが認められる。

(七) 補助参加人との出版契約書のうちの最初のものである昭和五一年八月一日付けの本件絵本(一)<1>ないし<3>についてのものは、契約当事者たる著作権者の欄に亡【A】だけが記載されていたところ、原判決は、これを被控訴人が認識していたかどうか疑わしいとする(原判決九九頁四行目から八行目まで)が、何ら証拠に基づかない判断である。

(八) 原判決は、被控訴人が筆を用いて輪郭線を仕上げていた旨を認定している(原判決一〇〇頁一行目から四行目まで)が、被控訴人の供述以外の証拠はなく、事実に反する。

(九) 原判決は、絵の具の配合、色塗り、輪郭線を引くことを亡【A】がしていたとしても、それが補助的作業であると断定している(原判決一〇一頁一〇行目から一〇二頁五行目まで)が、絵の具の配合は、絵画一般について色を決める決定的な要素であり、また本件絵本(一)では輪郭線が絵の雰囲気、キャラクターの善し悪しを決める重要な要素であって、右判断は誤りである。

3  仮に、被控訴人が本件絵本(一)の著作者であったとしても、亡【A】は本件絵本(一)の作成に関与協力しており、かつ、被控訴人と亡【A】とは、両名を共著者として表示することを合意していたのであるから、被控訴人から亡【A】に本件絵本(一)の著作権の二分の一の共有持分権を譲渡する合意があったと見るべきである。

三  被控訴人の主張

1(一)  控訴人らは、原判決が、「二人でノンタン」(乙第一号証)の記述内容を何らの理由も示さず等閑視した誤りがあると主張する。

しかしながら、株式会社文芸春秋出版部の【F】が「二人でノンタン」の出版を企画したのは、ベストセラーとなった本件絵本(一)が夫婦である亡【A】と被控訴人との共同著作に係るものとして社会的に注目されたからであり、したがって、【F】の執筆依頼が、本件絵本(一)が亡【A】と被控訴人との共同著作であるとの前提に立つものであること、また、そのことは、当然、亡【A】及び被控訴人に了解されており、同人らが、かかる【F】の意図に沿って「二人でノンタン」を執筆したものであることは、いずれも疑問の余地がない。

そして、「二人でノンタン」の企画意図が右のようなものである以上、その記述内容は、本件絵本(一)が亡【A】と被控訴人との共同著作であるとの建前を維持し、強調する一方で、これと抵触しない部分においては、ある程度の脚色、誇張はあるものの、ほぼ何らかの具体的事実に即したものであること、すなわち、「二人でノンタン」は事実と虚構とが入り交じった著作物であることは明らかである。また、そのことは、「二人でノンタン」の執筆当時、亡【A】と被控訴人との夫婦仲が円満であったか否かとは無関係のことである。

したがって、「二人でノンタン」における本件絵本(一)の内容、特にその創作過程の描写によって、亡【A】が本件絵本(一)の創作に関与したと認めることはできない。

原判決が、「二人でノンタン」につき、夫婦絵本作家としてできあがったイメージを所与の前提として著述されたものと認定した(原判決九七頁一〇行目から九八頁三行目まで)のは、以上の趣旨を示すものであり、「二人でノンタン」の記述内容のうち、少なくとも、本件絵本(一)の創作過程又はその創作者に関する部分の証明力を否定したものであることが明らかであって、その認定及びこれに基づく証拠評価に誤りはなく、何らの理由も示さず等閑視したものでもない。

(二)  控訴人らは、原判決が、NHKのテレビ番組を録画したビデオテープ(検乙第二号証)についても、何らの理由も示さず、これを等閑視した誤りがあると主張する。

しかしながら、同ビデオテープの内容に照らして、同テレビ番組が、本件絵本(一)を共同で創作した夫婦作家という既成の対外的・社会的イメージに依拠し、かつ、それに沿って企画・取材されたものであること、亡【A】及び被控訴人もその意図に沿ってインタビュー及び創作状況の撮影に応じたことは明らかであって、同テレビ番組の内容、特にその創作過程の描写によって、亡【A】が本件絵本(一)の創作に関与したと認めることができないことは、右(一)の「二人でノンタン」の場合におけると同様である。

なお、控訴人らは、同番組には、亡【A】が筆をとって描写している場面が随所にあり、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であることを示していると主張するが、その場面は、亡【A】がNHKの担当者の要望に応じて、その企画意図を可視的に表現すべく撮影させたものであって、実際の絵本の原稿を描いているものではない。

2(一)  控訴人は、ノンタンシリーズの続編を望んでいた補助参加人が、被控訴人でも亡【A】でもノンタンシリーズを描き継ぐことができる者が続編を制作すればよいとの考えから、亡【A】に作品の試作を依頼したが、亡【A】が補助参加人に持ち込んだノンタンの試作は補助参加人の採用するところとならず、その後持ち込まれたいくつかの絵本原稿についても同様であった旨の原判決の認定を非難し、この点についての原審証人【G】の証言につき、同人が、補助参加人の編集部員として、被控訴人から本件絵本(一)の著作者、著作権者としての要求を受けていたこと(控訴人らの「脅迫」との表現は、実態を見誤らせる意図的な表現であって不当である。)や、ノンタンキャラクターに関するビジネスに深く関わり、被控訴人と密接な利害関係を有することを挙げて、信憑性に乏しいものであると主張する。

しかしながら、右のような事実があるからといって、同人の証言の信用性を一律に否定することができないことは当然であり、むしろ、その証言全体を見れば、大筋において不合理・不自然な点はなく、客観的事実や関係証拠に照らして高い信用性が認められるものである。控訴人らは、平成二年六月二六日に(本件本訴事件が第一審裁判所に係属した直後である。)、亡【A】及び控訴人ら訴訟代理人が【G】と面談した際、同人が、本件絵本(一)の原画と被控訴人の描いた原画を机上に並べ、両者は全く異なり本件絵本(一)の原画は被控訴人が描いていない旨を説明したとも主張するが、仮に同人がそのような説明をしたとすれば、同人からその旨の書面を徴求する等、弁護士たる同代理人らにおいて、当然に講じて然るべき証拠の保全のための措置がされていないことに鑑みて、【G】がそのような説明をしたことは極めて疑わしい。

そして、補助参加人が、ベストセラーとなったノンタンシリーズの続編の刊行を強く希望し、亡【A】と被控訴人のいずれであるにせよ、ともかくその続編を描き継がせるべく相当の努力をしたことは当然であり、亡【A】に対し作品の試作を依頼したことに不自然な点はなく、かつ、亡【A】は、これに応じて「ノンタンのあかいじどうしゃ」(甲第八三号証の1、2)を提出したものである。

また、控訴人らは、亡【A】が補助参加人に持ち込んだ「しつけ絵本シリーズ」数点について、しつけ教育的な筋立てで親の喜びそうな視点から描かれており、ストーリーの展開や子供に対する見方が本件絵本(一)と対極的な違いがあり、補助参加人が絵本として出版するに足りる水準に達していないと判断された旨の原判決の認定に対し、右「しつけ絵本シリーズ」は、幼児のしつけ教育の一助とするもので、ノンタンシリーズとは性格も目的も異なり、本件絵本(一)と対極的な違いがあることは当然であると主張するが、補助参加人の指向がしつけ教育などとは対極にある絵本であることは、亡【A】としても【G】との継続的な接触を通じて知悉していたはずであるのに、該「しつけ絵本シリーズ」を補助参加人に持ち込んだのは、同人がノンタンシリーズに描かれた世界を創造する資質にかけていたからにほかならない。

被控訴人がノンタンシリーズを描き継いだことに関して、控訴人らは、「赤ちゃんシリーズ」が作家としての力量に不安を持っていたことへの対応であると主張するが、被控訴人は、本件絵本(一)に続く作品として本件絵本(二)<1>ないし<3>を創作しているのであるから、右主張は前提を欠く。被控訴人が「赤ちゃんシリーズ」を刊行したのは、想定対象読者を拡げようとする補助参加人の販売方針に由来するものである。

控訴人らは、亡【A】が、本件絵本(一)の続編を著作しなかった理由として、亡【A】が補助参加人に対し恩義を感じて、ノンタン及びこれと同種の作品の制作をことさら避けていたとか、被控訴人との婚姻生活の思い出の結晶ともいうべきノンタンシリーズを一人で制作することを心情的に潔しとしなかった等と主張するが、かかる主張は、亡【A】が、本件絵本(一)<10>の模倣としかいいようのない「ボールがポン」という絵本を他社から刊行したことに照らして、根拠がないことは明らかである。

(二)  控訴人らは、亡【A】において、被控訴人がノンタンの続編を描くことに同意するとともに、亡【A】がノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には事前に補助参加人に知らせ協議する旨の昭和六一年五月三一日付覚え書(甲第七七号証)を補助参加人に差し入れたことにつき、原判決が、亡【A】が本件絵本(一)の著作者であったならば、被控訴人によるノンタン制作に同意していることは、絵本作家としての自己の能力やこれまでに築いた地位を否定することにほかならず、自らの著作活動に枠を設ける右覚え書を作成することは理解し難い行為であると判断したことに対し、補助参加人代表者の亡【A】宛て昭和六一年六月一七日付書簡(乙第五六号証の一、二)の記載を根拠に、原判決の右判断が誤りである旨主張する。

しかしながら、右覚え書は、原判決の認定するとおり、亡【A】が本件絵本(一)<10>の模倣である「ボールがポン」という絵本を他社から刊行したことを契機として、そのような事態の再発を懸念した補助参加人が徴求したものであることは明らかであり、補助参加人代表者の書簡の文言は、亡【A】の矜持を損なわないよう配慮しつつ、そのようなことを二度としないよう約束して貰うために、周到に意図されたものであって、その記載をそのまま根拠とする控訴人らの主張は理由がない。

(三)  控訴人らは、先行作品及び並行作品が亡【A】が創作したものであると主張する。

しかしながら、控訴人らがその根拠とする「へっこきよめさん」(甲第一九号証)の挿し絵についていえば、亡【A】の作品である「はまぐり姫」(乙第二四、第五九号証)、「瓜子姫」(乙第二五、第六〇号証)等において事物の輪郭線がすっきりしたきれいな線であるのとは異なり、輪郭線はすべてかすかにふるえ、太い部分や細い部分がある等、本件絵本(一)の輪郭線に相通じる特徴が明確に看取できるのみならず、人物、クモ、ネズミ、猫、馬、鳥等に着目しても、「へっこきよめさん」のそれらは、本件絵本(一)に近似して愛らしいが、リアリティに欠けるのに対し、亡【A】の描く魚(はまぐり姫)、鳥(はまぐり姫、瓜子姫)、虎(はまぐり姫)、ウサギ(同)、馬(同)、リス(同)は、数段上手でリアリティに富んでおり、双方に共通性・連続性を窺うことができない。

また、控訴人らは、「【H】」のペンネームが使用されていることは、それが亡【A】の作品であることを示しているとか、「【K】」の表示が「花押」や「サイン」代わりとなる表示である等と主張するが、控訴人らが亡【A】の創作であると主張する作品には、「【K】」の表示がなかったり、「【I】」、「【L】」等のペンネームを用いたものもあり、その主張は一貫しない。また、「【H】」は、被控訴人自身のニックネームであり、私的な書簡(甲第九九号証の一ないし七)においても、被控訴人を指すものとして用いられている。

(四)  控訴人らは、絵本の創作における最重要な要素は絵そのものの描出行為であり、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分は、ノンタンのキャラクターを描くことにあると主張するが、独自の見解にすぎない。

(五)  控訴人らは、本件絵本(一)<1>及び<10>の原画(甲第四八号証の1、2)に亡【A】の文字もあると主張するところ、仮に亡【A】のものと認められる文字があるとしても、亡【A】が被控訴人の制作を手伝った際に何らかの原因で生じたものにすぎない。

また、控訴人らは、絵コンテ(甲第九七号証)が被控訴人の手になるものではないかのように主張するが、その下手な絵柄が亡【A】の手になるものではないことは明白であるし、書き込まれた文字は被控訴人の筆跡であり、被控訴人の私物をまとめた段ボール中に納まっていたことを併せ考えれば、被控訴人の描いたものであることが明らかである。

さらに、控訴人らは、絵コンテ(乙第三〇号証)につき、絵コンテは、ストーリーが決まった後、画用紙に鉛筆で絵を描き、良い線のみフェルトペンで描くという作業をしたものであり、残された鉛筆書きの線や消された鉛筆書きの線があることは当然であるとして、原判決の認定を非難するが、同絵コンテには、被控訴人の手になる文字や絵が消された痕跡が残っていて、最初に描いたのが被控訴人であることが認められるのであるから、控訴人らの右主張は的外れである。

(六)  控訴人らは、亡【A】と被控訴人との往復書簡(甲第九四、第九五号証)から、被控訴人の海外旅行中、亡【A】が補助参加人との打合わせを繰り返し、絵を修正する等の行為をしていることが認められると主張するが、同書簡からは、亡【A】が被控訴人の意向を補助参加人に伝達しているにすぎないことが認められるものである。

(七)  控訴人らは、補助参加人との昭和五一年八月一日付出版契約書の契約当事者たる著作権者の欄に亡【A】だけが記載されていたことを被控訴人が認識していたかどうか疑わしいとする原判決の認定を非難するが、独自の見解である。

(八)  控訴人らは、被控訴人が筆を用いて輪郭線を仕上げていた旨の原判決の認定を、被控訴人の供述以外の証拠がなく事実に反すると主張するが、被控訴人の供述のほか、原判決の摘示する【M】の回答書(甲第四四号証の2の1)により、該事実は十分に認められる。

(九)  控訴人らは、絵の具の配合、色塗り、輪郭線を引くことを亡【A】がしており、それが絵本ないし本件絵本(一)において決定的な要素であるとして、それらを補助的作用とした原判決の判断を非難するが、亡【A】が本件絵本(一)の制作に関与していたとしても、絵コンテ後の作業のごく一部にすぎない補助的作業としてであり、しかもそれが、本件絵本(一)のうちのどれについてどの程度あったかも明らかではないから、原判決の判断に誤りはない。

3  被控訴人から亡【A】に対し、本件絵本(一)の著作権の二分の一の共有持分権を譲渡する合意があったとの控訴人らの主張は争う。

理由

一  当裁判所も、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求は理由があり、控訴人らの被控訴人に対する反訴請求は理由がないものと判断する。

その理由は、次のとおり、付加、訂正し、控訴人らの当審における主張に対し後記二のとおり判断するほかは、原判決理由欄と同じであるから、これを引用する。

1  原判決五九頁一行目の「本件絵本(一)の」の次に「印税は、」を加える。

2  同六六頁四行目の「他方亡【A】は、」から九行目までを、「他方亡【A】は、亡【A】がノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には、事前に補助参加人に知らせ協議する旨の「覚え書」、並びに被控訴人がペンネームを【N】として、ノンタンあそぼうよシリーズの続刊及びこのシリーズに登場するその他のキャラクターを使った絵本を新たに創作刊行することを認める旨の「覚え書」を、いずれも作成日付を昭和六一年五月三一日として、同時に作成し、補助参加人に差し入れた(成立に争いのない甲第七七号証及び丁第一号証)。」に改める。

3  同八二頁二行目から八三頁七行目までを、次のとおりに改める。

「(2) また、前記一1(三)(2)のとおり、亡【A】は、同人がノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には、事前に補助参加人に知らせ協議する旨の「覚え書」、並びに被控訴人がペンネームを【N】として、ノンタンあそぼうよシリーズ(ノンタンシリーズ)の続刊及びこのシリーズに登場するその他のキャラクターを使った絵本を新たに創作刊行することを認める旨の「覚え書」を補助参加人に差し入れている。

これに関して、控訴人らは、反訴再抗弁2のとおり主張し、原審における亡【A】本人尋問の結果中には、右両「覚え書」は、被控訴人の補助参加人に対する反訴再抗弁2記載内容の申入れのため、補助参加人としては、新たなノンタンを出版せざるを得なくなり、後になって辻褄を合わせるために補助参加人から求められて作成した旨、時期の点を除いて右主張に沿う供述がある。しかしながら、右両「覚え書」の作成時期は必ずしも明確ではないものの(前記一1(三)(2)のとおり、両「覚え書」の作成日付は昭和六一年五月三一日であるが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五六号証の1の内容及び作成日付から見て、現実には同年六月一七日以降に作成されたとも考えられ、他方、反訴再抗弁2においては、昭和六〇年秋ころの事実として主張されており、亡【A】は作成時期は覚えていない旨供述する。)、前掲甲第二八号証によれば被控訴人の創作したノンタンの続編の最初の絵本である本件絵本(二)<1>が昭和六一年八月に出版されていることが認められることに照らして、反訴再抗弁2の主張は、時期の点で整合しないことが明らかであるし、また、その点は措くとしても、補助参加人が、新たなノンタン(前掲甲第二九ないし第三九号証によれば、本件絵本(二)<2>ないし<12>の出版は昭和六二年八月以降であることが認められるので、具体的には本件絵本(二)<1>のことを指すものと認められる。)を出版してしまったための辻褄合わせであれば、被控訴人に新たな創作刊行を認めた「覚え書」において、その対象を本件絵本(二)<1>に特定するか、そうでなくともノンタンの続編を対象とすれば足りるはずであるのに、現実には、ノンタンの続編のみならず、ノンタンシリーズに登場するその他のキャラクターを使った絵本まで含む広範囲のものとされていることに照らすと、亡【A】の供述する右両「覚え書」の作成経緯は信用し難く、また、反訴再抗弁2の主張も採用し難い。」

4  同八四頁三行目の「亡【A】が」の次に「ノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には、事前に補助参加人に知らせ協議する旨の」を、同四行目の「認められ、」の次に「同」をそれぞれ加え、同五行目の「認められるから、」から六行目までを「認められる。」に改める。

二  控訴人らの当審における主張について

1  原判決の証拠の採否に重大な誤りがあるとの主張(控訴人らの主張1)について

(一)  控訴人らは、原判決には、本件絵本(一)の著作者の認定をするに当たって「二人でノンタン」(乙第一号証)の記述内容を何らの理由も示さず等閑視した誤りがあるとしたうえ、その執筆時期である昭和五四年初夏ころから昭和五七年四月までの間は、亡【A】と被控訴人との夫婦仲も円満であって、「二人でノンタン」中に虚偽の内容を著述する必要は全くなく、また、そこに記述されたエピソードについては、他の証拠からも事実であることが確認できるものであり、さらに、本件絵本(一)の創作過程の描写は、細部にわたり、実際にあったことでなければ書き得ない迫真性を有していることからも、「二人でノンタン」に既述された内容が事実に即したものであることが理解されると主張する。

しかしながら、亡【A】及び被控訴人が「二人でノンタン」を著すに至った経緯、株式会社文芸春秋出版部の【F】からその著述を勧められた時期が昭和五四年初夏ころであったこと、当時は本件絵本(一)<1>から同<7>までが既に出版され、その売行きも好調であったことは前示(原判決五四頁九行目から五五頁一行目まで、五八頁六行目から七行目まで、六一頁一行目から四行目まで)のとおりであり、これらの事実によれば、株式会社文芸春秋によるその出版の意図が、好評の絵本シリーズの共著者である夫婦絵本作家のエピソードや、同人らによる本件絵本(一)の創作の様子などを、読者が楽しく読めるような内容として紹介することにあり、本件絵本(一)が亡【A】と被控訴人との共同著作であることを前提とするものであること、亡【A】及び被控訴人はそのことを了解し、その意図に沿って「二人でノンタン」の執筆を行ったものであることが推認できる(このことは、「二人でノンタン」(乙第一号証)の「あとがき」や、「二人でノンタン」というタイトルそのものからも窺うことができる。)。そして、そうであるとすれば、「二人でノンタン」の内容は、原則的には、実際にあったことにある程度の潤色や誇張を施したものであるものの、本件絵本(一)の創作過程又はその創作者に関する部分においては、実際の事実に忠実であることよりも、本件絵本(一)が亡【A】と被控訴人との共同著作であるとの建前を維持することが優先したであろうことはたやすく推認されるところである。

「二人でノンタン」の内容が右のようであることは、その出版の意図に基づくものであり、読者にもある程度は想像がつくことであるから、虚偽の記載として非難される程のものではないし、また、「二人でノンタン」の執筆当時、亡【A】と被控訴人との夫婦仲が円満であったとしても、そのことが「二人でノンタン」の内容が右のようなものであることを左右するに足りるものではない。

そうすると、「二人でノンタン」の内容のうち、少なくとも本件絵本(一)の創作過程又はその創作者に関する部分については、控訴人らの主張するような事実に即したものであるとは即断できず、これに沿った認定をしないことをもって証拠評価の誤りとすることはできない。

(二)  検乙第二号証のビデオテープに係るNHKのテレビ番組は、その放映日である昭和五七年五月六日が「二人でノンタン」の出版後間もない時期であること、また、その内容からみて、亡【A】及び被控訴人の出演部分が「二人でノンタン」に描かれた夫婦絵本作家というイメージで構成されていることが明白であり、少なくとも本件絵本(一)の創作過程又はその創作者に関する部分(創作の様子としてビデオで紹介された部分を含む。)が事実に即したものと認められないことは右(一)と同様である。

(三)  なお、乙第五一ないし第五五号証によれば、雑誌「主婦の友」昭和五六年九月号(同月一日発行)、同「Personal」昭和五七年初夏号(同年四月一日発行)、同「マミール」第一一巻九号(昭和五七年九月一日発行)、同「ノンノ」(昭和五七年八月二〇日発行)、同「クロワッサン」(昭和五七年五月一〇日発行)に、被控訴人及び亡【A】に対するインタビューを交えて本件絵本(一)を紹介した記事が掲載されていること、同人らは、右インタビューに対し、本件絵本(一)が同人らの共著であることを前提とする発言をしていることが認められるが、右各雑誌の発行時期が「二人でノンタン」の出版の前後であることに照らし、その発言のうちの本件絵本(一)が同人らの共著であるとする部分が事実に即したものと認められないことも右(一)と同様である。

2(一)  亡【A】による続編の試作の事実が存在しない等の主張(控訴人らの主張2(一))について

控訴人らは、補助参加人が亡【A】に作品の試作を依頼し、亡【A】が補助参加人にノンタンの試作を持ち込んだとの事実が存在しないとして、縷々主張するが、原審証人【G】のこの点に関する証言に特段不自然なところはなく、同人が、経済的に被控訴人と密接な利害関係を有するに至っているとしても、その証言が信用できないとする理由はない。

また、成立に争いのない甲第七一ないし第七六号証の各絵コンテの文字部分の亡【A】の筆跡と対照すると、甲第八三号証の2の絵コンテの文字部分は亡【A】の筆跡であることが認められ、このことに照らせば、甲第八三号証の1、2の全体が亡【A】の作成に係ることが推認される。そして、右甲第八三号証の1、2及び原審証人【G】の証言並びに弁論の全趣旨によれば、前示(原判決六四頁一行目から八行目まで)のとおり、昭和六〇年五月ころ、ノンタンシリーズの続編を望んでいた補助参加人が、亡【A】に作品の試作を依頼したが、亡【A】が補助参加人に持ち込んだノンタンの試作(甲第八三号証の1、2)は補助参加人の採用するところとならなかったとの事実を認めることができる。

しかして、右事実と、その後に亡【A】が補助参加人に持ち込んだ「しつけ絵本シリーズ」(前掲甲第七一ないし第七六号証)がやはり採用されなかった事実、並びにそれに関連する前示(原判決八〇頁三行目から一〇行目まで)認定の事実が存在する場合に、それに対して、仮に亡【A】が本件絵本(一)の創作者であれば、亡【A】が補助参加人の求めに応じて提出した作品が、本件絵本(一)と共通性があり、一定の水準に達して、補助参加人に採用されるものがあるはずであるとの判断(原判決七九頁四行目から八二頁一行目まで)に至ることは極めて当然であり、この判断に対する控訴人らの非難は理由がない。

なお、控訴人らは、右「しつけ絵本シリーズ」について、ノンタンシリーズとは性格も目的も異なり、本件絵本(一)と対極的な違いがあることは当然であるから、このことを根拠として、補助参加人が絵本として出版するに足りる水準に達していないと認定したことは筋が通らないとも主張するが、右「しつけ絵本シリーズ」が水準に達しないと判断された理由が、本件絵本(一)と対極的な違いがあったことのみに止まらないことは前示(原判決八〇頁三行目から一〇行目まで)認定のとおりであるのみならず、補助参加人が、出版社として絵本に対して求める基準が、その性格や目的を包含したものであること(例えば、基準設定のうえで、ノンタンシリーズのような性格の絵本を高く評価し、その対極にあるものを低く評価するようなこと)は当然であって、右「しつけ絵本シリーズ」が補助参加人の採用するところとならなかった以上、かかる点も含めて、補助参加人が絵本として出版するに足りる水準に達していなかったと判断された旨認定することに何ら誤りはない。

控訴人らは、補助参加人としては、ノンタンを描き継ぐ者として被控訴人を選択せざるを得なかったとの認定を非難し、被控訴人が創作した本件絵本(二)<4>ないし<12>が「赤ちゃんシリーズ」とされていることを取り上げ、これが従前の作品と比べた場合の絵や作品としての完成度の劣化に対する言い訳であって、被控訴人が作家としての力量に不安を持っていたことへの対応であるとも主張するが、前掲甲第二九ないし第三九号証によれば、本件絵本(二)は、同<1>、同<4><5><6>(同時)、同<2>、同<3>、同<7><8>(同時)の順に出版されていったことが認められ、内容的に本件絵本(一)に続く作品である本件絵本(二)<1>ないし<3>が、右「赤ちゃんシリーズ」にむしろ先行するようにして出版されていることに照らして、控訴人らの該主張は採用することができない。なお、控訴人らは、本件絵本(二)<1>ないし<3>が、本件絵本(一)と比較して、ふるえる線が粗雑であるとか、ストーリーが粗雑である等と主張するが、本件絵本(一)と本件絵本(二)との間に、絵について有意な差異が認められないことは前示(原判決一〇〇頁五行目から一〇一頁八行目まで)のとおりであり、また、本件絵本(二)<1>ないし<3>が、本件絵本(一)と比較してストーリーが粗雑であると認めることもできない。

控訴人らは、さらに、亡【A】が、本件絵本(一)の続編を著作しなかったことについて、補助参加人に対し恩義を感じていたことから、自らはノンタン及びこれと同種の作品の制作をことさら避けていたとか、被控訴人との婚姻生活の思い出の結晶ともいうべきノンタンシリーズを一人で制作することを心情的に潔しとしなかった等と主張するが、前示(原判決八三頁八行目から八四頁六行目まで)認定の事実関係に照らして、右主張事実を認めることはできない。

(二)  覚え書に関する主張(控訴人らの主張2(二))について

亡【A】が、ノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には、事前に補助参加人に知らせ協議する旨の「覚え書」、並びに被控訴人がノンタンシリーズの続刊及びこのシリーズに登場するその他のキャラクターを使った絵本を新たに創作刊行することを認める旨の「覚え書」を補助参加人に差し入れた経緯、その趣旨等は前示(一の2項及び3項で訂正後の原判決六六頁一行目から九行目まで、同八二頁二行目から六行目まで)認定のとおりである。

ところで、乙第五六号証の一、二によれば、補助参加人代表者の亡【A】宛て昭和六一年六月一七日付書簡に、「ノンタンそのものの寿命を短くし、著者、出版社双方とも、信用を失墜する惧がある」、「『大友先生の画風や、その画風で動物を画けば、ノンタン絵本と類似してくるのは避けられない』ということは当然だと思います」との、亡【A】がノンタン絵本(時期的に本件絵本(一)を指すものと認められる。)の著作者であることを前提としたかのような記載があることが認められる。

しかしながら、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、右書簡は、【G】が亡【A】に対し、前記ノンタンシリーズのキャラクターに酷似した登場人物の絵本を新たに創作刊行する場合には、事前に補助参加人に知らせ協議する旨の「覚え書」作成の申し出をしたことに対し、亡【A】からその趣旨を確認する書簡が補助参加人宛てにあったことに対する返信であって、全体として、同「覚え書」の作成を慫慂しているものであること、同書簡中には、「【G】君より申出た覚え書の趣旨は、要するに『ノンタン絵本の類似出版、又はその拡大延長線上にある絵本』と読者に受け取られるようなものの出版は謹んで頂きたいということです。」というような、仮に亡【A】が本件絵本(一)の著作者であったとすれば、非礼といわざるを得ないような表現の記載もあることが認められるほか、右の「大友先生の画風や、その画風で動物を画けば、ノンタン絵本と類似してくるのは避けられない」の部分は、亡【A】からの書簡にあった記載を、そのうちの亡【A】を指す部分を「大友先生」に替えて引用したものにすぎないと考えられ、これらの事実を併せ考えれば、補助参加人からの書簡に前示のような記載があったからといって、補助参加人代表者が、亡【A】を本件絵本(一)の著作者と考えていたものとは到底認められないし、前示「覚え書」(甲第七七号証)記載の事項が何らかの特別な意味を有するに至るとも認めることはできない。

しかして、前示両「覚え書」の記載事項を見た場合に、仮に亡【A】が本件絵本(一)の著作者であったならば、絵本作家としての自己の能力やこれまでに築いた地位を否定することにほかならず、自らの著作活動に枠を設ける覚え書作成は理解し難い行為であるとの判断(同八四頁七行目から八五頁三行目まで)に至ることは極めて当然であり、この判断に対する控訴人らの非難は理由がない。

(三)  先行作品及び並行作品の著作者に関する主張(控訴人らの主張2(三))について

控訴人らは、先行作品及び「わたしのあかちゃんえんじぇる」を除く並行作品が亡【A】の創作したものであると主張し、その根拠として、「へっこきよめさん」の挿し絵を挙げて、それが書き慣れたプロの作品であり、かつ、亡【A】の作品である「はまぐり姫」、「瓜子姫」の各漫画と同一の作風の流れにあると主張するが、右「へっこきよめさん」(甲第一九号証)の挿し絵と「はまぐり姫」(乙第二四、第五九号証)、「瓜子姫」(乙第二五、第六〇号証)の各漫画とでは、中心の人物がいずれも和装の女性であることから印象はやや似ているものの、動物等を含めて仔細に見比べると、「はまぐり姫」、「瓜子姫」の漫画の絵は、完成度が高いと認められる反面、現在ではかなり古風に感じられるのに対し、「へっこきよめさん」の挿し絵は、例えば現代の漫画の絵だとした場合でもそれほどの違和感を感じさせるものではなく、控訴人らの主張するように、両者が同一の作風の流れにあるとは必ずしも認められない。

また、控訴人らは、先行作品及び並行作品に「【H】」のペンネームが使用された点、及び「【K】」の表示が付されたものがある点について縷々主張するが、前示(原判決七〇頁五行目から七一頁一〇行目まで)認定判断を左右するには足りない。

(四)  本件絵本(一)の創作的表現の核心に関する主張(控訴人らの主張2(四))について

控訴人らは、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分が、扱うテーマやストーリーを構想し、これを具体的に表現する絵柄やその配置、配色の決定及び文字記述部分にあり、これらを創作した者が著作者たり得るものであって、単に決められた色を塗ったり、輪郭線の仕上げをするに止まる場合は、単なる補助作業であって著作物の創作行為とは評価できないとの判断(原判決七八頁五行目から一〇行目まで)を非難し、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分は、キャラクターを描くことにあると主張するが、前示(同七七頁七行目から七八頁三行目まで)の本件絵本(一)の創作過程の認定を踏まえ、かつ、本件絵本(一)が幼児を対象とし、比較的単純な絵柄と少ない文字とで構成されていることに鑑みれば、前示判断に何ら誤りがあるとはいえず、控訴人らの主張は採用することができない。

(五)  原画、絵コンテに残された筆跡等に関する主張(控訴人らの主張2(五))について

控訴人らは、本件絵本(一)<1>及び<10>の原画(甲第四八号証の1、2)に亡【A】の手による文字も残されていると主張するが、被控訴人の筆跡が明瞭であるのに対し、亡【A】の筆跡が残されていることは必ずしも明確でないうえ、仮に原画に多少残っていたとしても、前示(原判決七七頁七行目から七八頁三行目まで)の本件絵本(一)の創作過程に照らし、また、右の本件絵本(一)の創作的表現の核心部分についての判断に鑑みて、本件絵本(一)の著作者が被控訴人であるとの判断を左右するものではない。

また、控訴人らは、絵コンテ(甲第九七号証)が被控訴人の私物用段ボールに納まっていたとしても、被控訴人の手になるものとは認め得ないと主張するが、同絵コンテに被控訴人の筆跡が残されていることを併せ考えれば、被控訴人の手になるものであることを窺うことができる。

さらに、控訴人らは、絵コンテに残された鉛筆書きの線や消された鉛筆書きの線があることは当然であって、乙第三〇号証につき、絵についても文字部分についても鉛筆の下書きが一旦消されたうえで作成された跡が窺えるから、編集者との打合わせや原画作成のため使用された当時とは異なったものであるとした判断(原判決九四頁九行目から九六頁五行目まで)が、本件絵本(一)の制作過程を理解していないと非難するが、仮に、乙第三〇号証が編集者との打合わせや原画作成のため使用された当時と異なったものであるとの認定が誤りだとしても、それに下書きが一旦消されたうえで作成された跡がある以上、現在の文字部分が亡【A】の手によるものと認められるからといって、当初から亡【A】が作成したものであるか否かは明らかでないといわざるを得ない。

(六)  亡【A】も補助参加人との打合わせを行ったとの主張(控訴人らの主張2(六))について

控訴人らは、本件絵本(一)の出版のための【G】との打合わせの際に、亡【A】が同席しても、作品に対する意見等は専ら被控訴人が述べていた旨の原審証人【G】の証言が信用できないと主張するが、この点に関する同証人の証言に特段不審な点は見当たらず、これが信用できないとする理由はない。

また、控訴人らは、亡【A】と被控訴人との往復書簡(甲第九四、第九五号証)から、被控訴人の海外旅行中に、亡【A】が補助参加人との打合わせを繰り返し、絵を修正する等の行為をしていることが認められると主張するが、右各書簡に、そのような事実を認めるに足りる記載は見当たらない。

(七)  出版契約書の著作権者欄の記載についての被控訴人の認識に関する主張(控訴人らの主張2(七))について

控訴人らは、補助参加人との出版契約書のうちの最初のものである昭和五一年八月一日付出版契約書の契約当事者たる著作権者の欄に、亡【A】だけが記載されていたことを被控訴人が認識していたかどうか疑わしいとする認定(原判決九九頁四行目から八行目まで)を非難するが、該認定は、前示(同五七頁一行目から一〇行目まで)のとおり、該出版契約書の著作者名欄には、被控訴人と亡【A】とが記載されていたこと、出版契約書の作成手続は亡【A】がしていたことに基づくものであり、亡【A】だけが記載されていたことを被控訴人が認識していた事実を認めるに足りる証拠もないから、右のように認定したことが誤りであるとはいえない。

(八)  被控訴人が筆を用いて輪郭線を仕上げていたとの認定に関する主張(控訴人らの主張2(八))について

控訴人らは、被控訴人が筆を用いて輪郭線を仕上げていたとする認定(原判決一〇〇頁一行目から四行目まで)を事実に反すると主張するが、原判決同所に掲記の各証拠によれば、かかる事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(九)  絵の具の配合等を補助的作業とした判断に関する主張(控訴人らの主張2(九))について

控訴人らは、色塗りや仕上げの輪郭線を引く作業に亡【A】が関わったときに、その作業の中で亡【A】が豊富な経験を生かして絵の具の配合をしたり、被控訴人よりも上回る技術を駆使して仕上げの輪郭線を引いていたとしても、本件絵本(一)の創作過程における補助的作業に止まるとした判断(原判決一〇一頁一〇行目から一〇二頁五行目まで)に対し、絵の具の配合が絵画一般について色を決める決定的な要素であり、また本件絵本(一)では輪郭線が絵の雰囲気、キャラクターの善し悪しを決める重要な要素であるとして、右判断が誤りであると主張するが、前示(原判決七八頁五行目から一〇行目まで)のとおり、本件絵本(一)の創作的表現の核心部分が、扱うテーマやストーリーを構想し、これを具体的に表現する絵柄やその配置、配色の決定及び文字記述部分にあり、これらを創作した者が著作者たり得るものであって、単に決められた色を塗ったり、輪郭線の仕上げをするに止まる場合は、単なる補助作業であって著作物の創作行為とは評価できないことに鑑みて、右判断は相当であって誤りはない。

3  本件絵本(一)の著作権の持分権譲渡の主張(控訴人らの主張3)について

控訴人らは、被控訴人が本件絵本(一)の著作者であったとしても、被控訴人から亡【A】に本件絵本(一)の著作権の二分の一の共有持分権を譲渡する合意があったと主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はない。亡【A】が補助作業の分野において本件絵本(一)の作成に関わっていたことは被控訴人の自認するところであり、また、前示(原判決九七頁九行目から九八頁一行目まで)のとおり、被控訴人は、当初は指導者としての夫を立て、後には夫婦絵本作家としてできあがったイメージの維持のため、本件絵本(一)の共同著作名儀を黙認していたことが認められるが、これらの事実によっても、被控訴人から亡【A】に本件絵本(一)の著作権の二分の一の共有持分権を譲渡する合意があったと推認するには足りない。

三  以上によれば、原判決は正当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六一条、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(平成一一年九月六日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

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